日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
日光奉行所跡 (にっこうぶぎょうしょあと) |
種別1 |
記念物
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種別2 |
史跡
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員数 |
0 |
地域 |
日光
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所在地 |
日光市安川町 |
- 解説
- 日光奉行の発祥は梶定良に始まる。定良は徳川三代将軍家光の遺臣で、承応3年(1652)から40数年の間、日光山守護職を務めた。その後元禄13年(1700)に日光奉行が置かれるに及び、定良の屋敷を改造して「御奉行屋敷」が竣工する。
日光奉行の職掌は、日光目付や梶定良の職務を継いで、日光廟の警備・営繕・祭祀一切を監理し、定員2名で1名あて交代で日光に在勤した。ただし、寛政3年(1791)以降、それまで日光領行政の中核をなしてきた日光目代、山口氏の失脚により、従来の業務に加え、日光山取締り・収納・修復・公事訴訟まで取り扱うようになる。奉行所内には米蔵やお白州などもあった。
建物はその後も存続し、明治2年(1869)に設置された日光県の庁舎となったが、廃県とともに取り壊される。その跡地に日光ホテルが建つが焼失し、その後に古河電工の晃楽荘が建てられたが、平成六年に解体された。現在では輪王寺信徒会館となっている。
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