日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
鶴が渕城址 |
種別1 |
記念物
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種別2 |
史跡
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員数 |
1基 |
地域 |
藤原
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所在地 |
日光市上三依
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- 解説
- 鶴が渕城址は、戦国時代の山城跡である。城は男鹿川左岸の姥捨山(896m)山頂にある曲輪(くるわ)と物見台、男鹿川右岸から田代山(たしろやま)に続く長塁と、男鹿川渕の角馬出(かどうまだし)の3つの部分から構成されている。
現存する鶴が渕城址は、最初に築城した長沼氏当時のものとは考えにくく、上杉景勝によって慶長5年(1600)に拡張整備されたものと考えられる。
擂鉢状曲輪など上杉流が見られ、川を塞き止めて街道に水を湛え、石弓を設け、さらに藤原・高徳辺りまで先兵を出し、陽動作戦を展開した事が上杉文書に見られるからである。これに対し、家康の会津攻めは関が原合戦と重なって実際の進攻はなかったのである。
尚、この城址の調査にあたり、史料などを提供された西ケ谷恭弘(にしがややすひろ)氏(日本城郭史学会員)より寄稿を頂いたことを付記しておく。
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