日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
稲荷川水難供養塔 (いなりがわすいなんくようとう) |
種別1 |
記念物
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種別2 |
史跡
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員数 |
2基 |
地域 |
日光
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所在地 |
日光市石屋町 |
- 解説
- 寛文2年(1662)6月、稲荷川の大洪水によって古稲荷町が流失、多くの犠牲者がでた。当時の古地図によると、川は山内よりを流れ、その東側に稲荷川1丁目から4丁目までと裏町通りの2筋の町並みがあった。『徳川実記』では、8日から13日までの大風雨による洪水で目付代田中三左衞門や同心10人、寺で9人、山麓の市中で140余人が犠牲となったと伝える。
この石塔(笠塔婆形)2基がこの水難供養の塔で、右が高さ約2.7mあり阿弥陀種子と南無阿弥陀佛の名号が彫られる。左は約1.9mで正面に名号、左右側面に人名や法名、背面に寛文3年9月の年紀と建立者らしい梅原宗意以下7名の名が記されている。
この難を免れた人々が移り住んだのが現在の稲荷町であり、俗に出町とも称する。
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