日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
金工神山致道遺品 (きんこうかみやまちどういひん) |
種別1 |
有形民俗文化財 |
種別2 |
生業
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員数 |
68点 |
地域 |
日光
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所在地 |
日光市安川町
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- 解説
- 神山致道(1786頃~1857)は、江戸末期に日光において絵師を世職とする傍ら、鍔(つば)・目貫(めぬき)・縁頭(ふちがしら)・小柄(こづか)・笄(こうがい)など、武士の必需品の刀装金具に優れた作品を残した著名な金工で、その作品には栃木県指定重要文化財もある。
神山家の伝えによると、第六世半蔵が絵をよくし、享保年間から日光社寺建造物修理の彩色図案等を担当する絵方棟梁になった。致道はもと宇都宮藩福田氏(浅野氏とも伝える)の生まれで、神山家第十世を継ぎ、半蔵を襲名して家職の絵師となったが、日光を旅した江戸の金工土屋国親(五世土屋安親と同人)に彫金を習い、技巧を極めたという。娘の満は父の作風を自得して自得斎三玉と号し、作品下図(したず)(下絵)にもその名を留める。
指定品は、致道が工作に用いた鏨(たがね)(48本)、小槌(こづち)・鏝(こて)などの工具(9点)、眼鏡(2点)、下図帳6冊、致道の娘三玉の才色を推奨した『詩文懐紙』1枚などである。下図帳は天保から安政年間のもので、指定時には4冊とされていたが、再調査の結果、2冊1綴りのものが2組あり計6冊が正しい。また新たに下図帳11冊が発見され合計17冊となった。これ以外にも畳紙(たとう)入り台紙20枚に貼り付けた下図267点があって、下図の総数は凡そ2千点以上に及ぶ。今回、下図帳6冊に貼り付けられた670点の下図をスキャナーで収録した。
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