日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
小佐越新道関連文書 |
種別1 |
有形文化財
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種別2 |
書籍
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員数 |
351通 |
地域 |
藤原
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所在地 |
日光市小佐越 |
- 解説
- 小佐越村は、江戸時代を通じて日光神領であり、鬼怒川右岸の滝・柄倉村と共に大桑村八ヶ郷の一部であった。
大桑村八ヶ郷は、中世の日光山が管轄した古郷で、大桑郷に相当するものであるかもしれない。定名主(じょうなぬし)は大桑村にしかなく、小佐越村には4人の年寄りがいて年番を勤めた。年貢割付、皆済(かいさい)、宗門改めなどは、大桑村を中心に八ヶ郷一紙にして行われた。また、滝村と共に盛んだった炭焼きの願書なども、願人、年番、定名主が連名で日光奉行に提出した。
小佐越新道は、五十里宿から鬼怒川の右岸を通って、川治・滝・小佐越・小百を経て、日光に至るものである。あるいは、小佐越から大桑を経て今市にも通じた。いうまでもなく、会津西街道の宿駅制度に対して、現れた仲附の道である。
小佐越新道の開さくによって、脅威であった会津西街道との間に大争論があった。それらの経過を逐一詳細に記したものが新道関連文書である。
このように、小佐越村の文書は限定的な性格を有するが故に、必ずしも村の全容を伝えるものではないが、右に述べたように、幕末の小佐越新道関連文書約30点は、特に本町の交通史上さらには会津西街道史の研究に資する上から価値が高い。
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