日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
坑夫の墓 |
種別1 |
有形文化財
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種別2 |
考古資料
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員数 |
3 |
地域 |
足尾
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所在地 |
日光市足尾町赤倉 |
- 解説
- 俗に、「坑夫の墓」と呼んでいるが、その意味を知るには坑夫社会の友子(ともこ)制度を知る必要がある。坑内の作業条件の厳しさ、失業の不安、けい肺病の危険等にさらされていたので、坑夫間に強いつながりができた。友子の仕組みで重要なのは、全国的な相互共済と親分子分の関係の二つである。万一、けい肺病や怪我などにより働けない者には、奉願帳を与え、これを持って鉱山から鉱山へと渡り歩き救済を受けた。親分子分の関係を結ぶには、取立て式が毎年行われ、子分は親分に3年3月10日間仕え、坑内の仕事や坑夫の気風を学び、共同で親分の墓を立てたりした。足尾には、坑夫の墓と言えるものが平成20年時の調査で、合計135基が確認された。年号は明治20年代から大正末期まであるが、足尾銅山の激動期にあたり、墓地も少なからず変遷があり、移設・埋没・倒壊・破損あるいは無縁として山積されたりで、実体は相当な数であったと思われる。墓に刻まれた年齢は、過酷で劣悪な労働の中で概して若年であった。そして、故郷を遠く離れての無念の死に、仲間の多くの坑夫が名を添えている。
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