日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
明治新政府の高札 |
種別1 |
有形文化財
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種別2 |
考古資料
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員数 |
1個 |
地域 |
足尾
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所在地 |
日光市足尾町 |
- 解説
- 慶応4年(1868)に始まった戊辰戦争のとき、日光においては、大鳥圭介が2,000余名の旧幕軍を指揮し、東照宮の神威を背景に日光山に集結し官軍を迎撃しようとしたが、官軍の板垣退助は、日光山の無血占領を謀り、戦いは寸前で回避され大鳥軍を撤退させた。同9月8日に元号は「明治」と改められた。一方、同5月に真岡県仮代官として赴任した鍋島貞幹(幹(つよし))は、真岡知県事となり、9月1日に日光に入り「知県事出張所」と表札を掲げ、県の役所とした。知県事は直ちに、旧日光山領に触れ(高札)を出した。その内容は、〝徳川家は今まで国内の乱れを鎮めて功があったが、朝廷の趣旨に反したので幕府を倒した。徳川氏には寛大な処置をとったが しかし、神領の民には御法堂(ごはっと)を守らず、罪人をかくまったりしている。これからは、何事も公明正大な政治で、民を救う有り難い世の中である。だから農務産業に精をし、御法度を守り、良い民になりなさい〟とのことであり、末尾に〝辰九月 知県時役所〟とある。
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