日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
代官所跡(足尾陣屋跡) |
種別1 |
記念物
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種別2 |
史跡
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員数 |
1 |
地域 |
足尾
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所在地 |
日光市足尾町松原 |
- 解説
- 戦国乱世の終わりを告げるべく江戸幕府が開府されたのが慶長8年(1603)で、徳川家康は同14年に足尾郷を日光山領として安堵した。翌15年(1610)に足尾銅山が発見されたとして、日光山座禅院座主に知らされ、翌年に幕府に間吹き銅を献上したところ、幕府直轄の銅山として銅山奉行に支配させた。一方、足尾郷は同18年(1613)に日光山光明院(天海貫主)領となり、元和3年(1617)には日光東照宮神領となった。足尾銅山は寛永3年(1626)に東照宮(天海)の支配となり、天海の没後の正保4年(1647)にふたたび幕府直轄とした。幕府は改ためて奉行兼代官を置き、慶安2年(1649)には銅山街道(あかがね街道)を足尾~沢入~花輪~大間々~平塚(利根川河岸)間に開設し銅の輸送路を確保した。代官所はこの時期に設置されたものと思われる。以来、明治に至るまで奉行・代官・最後は関東郡代と42代に引継がれた。文政10年(1827)の足尾陣屋焼失のさいの間取り図と普請目論見図が残されている。陣屋内には銅の吹所まであった。
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