日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
鋳銭座と足字銭 |
種別1 |
記念物
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種別2 |
史跡
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員数 |
1 |
地域 |
足尾
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所在地 |
日光市足尾町赤沢
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- 解説
- 産銅量の減退に伴い、足尾銅山の銅山師たち44名は、山元(やまもと)の困窮を救うため、寛保元年(1741)2月に幕府に対して、足尾銅山で「寛永通宝・一文銭」の鋳造許可を願い出て「足尾銭:足字銭」を鋳銭することとなった。いわゆる「お救いの鋳銭座」であった。旧記の「鋳銭重宝記」によれば 〝年額四万貫文 三万貫目の出銅をもってこれを吹く 重さ8分の定め5ヶ年にして延享2年(1745)に至って止む〟 と記述されているが、実際は、寛保2年7月から延享4年12月までの6ヵ年で、出銅16万7,000貫目をもって約22万2,600百貫文を鋳銭した。その鋳銭枚数は2億1,000万枚となる。足字銭の背面には足尾の「足」の字が印されている。鋳銭座の場所は、文化3年(1806)の「五街道分間延絵図」の「足尾通五巻」に 〝此辺(このあたり)鋳銭跡〟 と印されている。明治33年発行の「大日本貨幣研究会雑誌」に三上母子(もし)太郎(たろう)が「下野国鋳銭探検」と題し、その場所を調査し報告している。なお、古老の話しとして〝当地に銭座原という所がある〟と聞き及んでいる。
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