日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
本山出沢の絵 |
種別1 |
有形文化財
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種別2 |
絵画
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員数 |
1幅 |
地域 |
足尾
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所在地 |
日光市足尾町通洞 |
- 解説
- 明治10年に足尾銅山は古河市兵衛の経営するところとなり、それから、僅か3年後の同13年、洋画家安藤仲太郎(文久元年:1861~大正元年)によって足尾銅山出沢鉱場を描いた油絵である。当時はまだ旧態依然の操業方法で、江戸期の足尾銅山の光景の一端を表わす貴重な絵である。描かれた内容は、谷間(たにあい)に野焼窯(三窯)・床屋(銅吹所)・薪積置場・選鉱場・丹(たん)(胆)礬(ぱん)製造所・越前坑夫飯場・床屋飯場・掘子飯場・下稼人の家・飯場(六棟)・新会所・係員詰所・旧会所・役宅・懲役署・監房・役人宅が描かれている。建物は概して小屋造り風で、屋根には石がのっている。出沢とは、足尾銅山の中心である備前楯山の北側に位置した小沢で、江戸期には狸掘り坑口が多く掘られ、後に本山と総称された。明治14年に越前坑夫一統の手により、鷹の巣坑で直利(富鉱脈)が発見され足尾銅山の曙光となった。栃木県3番目の懲役署は同24年9月30日に廃止された。この絵の姉妹画が古河本社に飾られている。
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