日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
高原磁石石 |
種別1 |
記念物
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種別2 |
史跡
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員数 |
1体 |
地域 |
藤原
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所在地 |
日光市川治温泉高原 |
- 解説
- 文久3年(1863)年大字藤原から川治温泉を通る新しい会津西街道(栃久保新道)が開通した。これにつれて、高原新田宿を通る人馬・輸送物資も新しい街道を通るようになった。このため、高原新田宿の村民も、新しい街道沿いに移り住む以外に生活の方法がなくなった。
この磁石石は、200年にわたり住みなれた旧地を離れる村民の愛惜の念を刻みつけたものである。上表面に後年陰刻した「文久三年下ル」のそぼくな文字がこのことを物語っている。
高原新田宿を通る旧会津西街道は、非常に険しいものであった。加えて冬期の降雪によって、従来輸送が途絶しがちだったのである。
文久3年、幕府は、難所を少なくし、冬期の交通をスムーズにするために、川治温泉を通る新道の開さくに着手した。
新道の開通によって、人馬・荷物の往来は、難所越えがなくなり、冬も滞こおらずにすんだ。しかし、高原新田宿の村民にとっては、大きな痛手になっていった。これといった物産もなく、人馬の宿料及び往復の駄賃かせぎが主収入であったためである。
このような時勢の変遷のため、村民は、新しい生活の手立てを求めて新道沿いに下山したものである。
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