日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
防火隊碑 |
種別1 |
記念物
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種別2 |
史跡
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員数 |
1基 |
地域 |
日光
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所在地 |
日光市匠町
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- 解説
- 承応元年(1652)幕府は「日光火之番」を創置し、槍奉行配下の八王子千人同心にこれを命じる。火之番は1組の編成を頭1人に同心50人とし、2組宛50日交代で在勤したが、寛政3年(1791)からは1組で半年交代の在勤となる。そして、慶応4年(1868)まで210余年間、山内の巡察警火を勤める。ことに、焼失家屋700戸余といわれる貞享元年(1684)の大火災や、文化9年(1812)の大楽院炎上の際などの消火活動に当たった。
承応元年から文化11年(1814)までに当地において客死した10名の供養が在勤頭の原胤敦(半左衞門)によって行われ、天保5年(1843)にいたって在勤頭の山本金右衛門が、同志の協力を得てこの碑を建てた。
この縁から、八王子市と旧日光市は昭和49年に姉妹都市の盟約を結んでいる。
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