日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
紙本著色 天海大僧正画像 |
種別1 |
有形文化財
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種別2 |
絵画
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員数 |
1幅 |
地域 |
日光
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所在地 |
日光市御幸町 |
- 解説
- 天海(1535~1643)は福島県会津美里町に生まれ、11才で出家、宇都宮の粉河寺や延暦寺、園城寺、興福寺、足利学校等で修学。慶長18年(1613)に日光山の貫(かん)主(す)となる。徳川家康の信任厚く、死の直前に遺命を受け死後家康の遺体を日光山に勧請(かんじょう)、「東照大権現」の霊地としての日光山を再編、堂社の整備に力を注いだ。死後、慈(じ)眼(げん)大師(だいし)の諡号(しごう)がおくられた。
天海は長寿を祝って後陽成(ごようぜい)上皇から贈られた燕尾帽子(えんびもうす)をかぶり、禅定印を結び椅子に座す。老貌のおだやかな表情をやわらかい淡墨線で描き、まゆげやまつげは細墨線を引き重ね、皺に朱のぼかしを施して立体感をあらわすなど神経質なほど細やかに描かれている。絵仏師の木村了琢(りょうたく)家は寛永12年(1635)9月に天海から諸神深秘(じんぴ)図相伝の画図目録を与えられ、以後東照宮の御本社の御内陣や御内々陣と呼ばれる最も神聖な場所の作画や修理を行なった。孝綱は木村了琢家13代目の絵師である。
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