日光市内に残されている文化財を守り伝えるため所有者や管理者のご理解と協力を得ながらその保護と活用を図っています。
名称 |
那珂通高・通世関連文書 |
種別1 |
有形文化財
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種別2 |
書籍
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員数 |
30点 |
地域 |
藤原
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所在地 |
日光市鬼怒川温泉大原 |
- 解説
- 那珂家には、那珂通高・継嗣(けいし)通世自らによる著作・消息、二人に関わる人々から書状類、あるいは二人が幕末・維新期の要人との幅広い交誼から得た美術品等が収蔵されている。通高は、文政10(1827)年生まれ。南部藩の奥医師江幡道俊の第二子であった。江戸で安積艮斎(あさかごんさい)・東条一堂に学び、京都で森田節斎の門下となり、この頃吉田松陰らと親友になる。通高は、南部藩お家騒動に倒れた兄春庵の仇討ちに、嘉永5(1852)年12月に、松陰らと東北遊行に立った。松陰はその帰途、同6年3月30日正午頃山王峠を越え、高原新田に一泊している。翌日、日光を経て帰府している『東北遊日記』。
このように松陰は本地域と深く関わっており、第一の知己通高もまた同様といえる。
通高は、慶応4(1868)年戊辰戦争に奥羽同盟の参謀として参戦して敗れ、東京に護送され、明治12(1879)年失意のうちに53歳で没した。
通世は、南部藩作人館で原敬と同窓。文学博士で、東京高等師範学校教授。東洋史の権威で『成吉思汗実録(じんぎすかんじつろく)』をはじめ多くの著作がある。
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