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名称 大橋静庵墓碑
種別1 記念物
種別2 史跡
員数 1基
地域 藤原
所在地 日光市川治温泉川治

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解説
 この墓碑は、幕末北関東の著名な漢学者の大橋静庵の終焉の地を示すために今市の大橋家によって建立された。のみならず、実際に火葬による遺骨の一部が納骨されている墓所でもある。
 大橋静庵は、20歳にして、鹿沼宿の鈴木石橋門下となり、師の著した象義20巻を書き写した。石橋没後は太田錦城に師事として「孟子精薀」を書き写し、ともに手許に置いた。24歳で、今市宿名主・問屋・朝鮮種人参参作世話人となり、40歳で、それらを譲り宿取締役となった。48歳で、名字・帯刀を正式に許された。慶応4(1868)年7月27日、川治村で没した。78歳であった。
 大橋静庵は、慶応4年4月25日日光を中心に周辺地域に展開された戊辰戦争に際し、難を避け今市宿を脱出藤原村星次郎助家に逗留し、小佐越村より迎えられて滝温泉にて詩作の後、川治温泉に避難した。7月25日自ら死期を悟り、枕元の杉戸に絶詩二首を認めた。そのうちの一首が墓碑に陽刻されているものである。
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