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名称 庚申山碑
種別1 有形民俗文化財
種別2 信仰
員数 1基
地域 足尾
所在地 日光市足尾町遠下

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解説
 庚申山(標高1892m)は、日光開山の祖 勝道上人(~817)によって山岳信仰の霊地として開山された。特に江戸末期には庚申講が盛んで、江戸講中が来山し、多くの石塔・石碑等が寄進された。「庚申山」碑もそのひとつで、足尾最大の石碑である。この碑は、慶応元年(1865)5月に、江戸講中23人が足尾宿 福田屋真右衛門外が世話人となり建立したもので、往時の隆盛を物語る大石碑である。銘文の「庚申山」の刻字には米1俵が入ると言われている。書は、猿田彦神社大先達 行者松翁、石工は、日光八十平。碑の背面には 〝人多く ミヤ(深)満(山)をワケ(分)停(て) よち(じ)登る こふ(講)者(は)御(み)神乃(の) いく(幾)代(よ)皮羅(変ら)ん〟 観山(雅号) 〝天津祖乃(おやの) 地津のぬし(主)ハ(は) 人多か(宝)ら 松多い(平)らかに 徳盤(は)万代〟 とあり。更に 〝御別所迠 従是行程 百十四丁〟 と刻まれている。碑は、遠下の外れにあった磐裂神社の庚申山登山口にあったが、大正3年に神社は現在地に移され、碑は参道入口に移った。更に、昭和25年に切幹橋詰に移され、平成9年に現在地に移った。
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